行政書士 花井 正澄 プロフィール |
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1982(昭和57)年 静岡大学人文学部法経学科卒 2004(平成16)年 花井美博行政書士事務所勤務 2017(平成29)年 行政書士登録 (第17210176号) 名古屋出入国管理庁届出済 (名・行) 第17-74号 (162017200074) |
資格 |
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2001(平成13)年 実用英語検定1級 2005(平成17)年 宅地建物取引主任者 |
尊敬する人物・趣味 |
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尊敬する人物 中江藤樹・内村鑑三・小林秀雄 ボランティア G7伊勢志摩サミット 通訳 趣味 歴史・旅行
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1940年7月、ドイツ・ナチスの迫害を逃れてポーランドからリトアニアに避難してきたユダヤ人たちが日本のビザを求めて、在リトアニア・カウナス日本領事館に集まってきた。ヒットラーの仕打ちを恐れてヨーロッパの各国が沈黙を決め込む中、杉原千畝・領事代理は放置すればガス室送りになることを承知していたため、人道的な視点からヨーロッパを脱出するための日本通過ビザを発給する。領事館が閉鎖されてからはメトロポールホテルやカウナス駅でも渡航証明書を発給し続け、その数は家族を含めると6000人を超えたという。リトアニアを出た後も、モスクワ、ウラジオストクでも日本の外交官によってビザは発給され続け、ユダヤ人たちは日本経由でカナダやアメリカに逃れた。1985年、杉原は、イスラエル政府からユダヤ人を救った人だけに贈られる「諸国民の中の正義の人」の称号を授与され、「ヤド・バシェム賞*」を受賞している。*ヤド・バシェムはイスラエル・ホロコースト記念館。
1938年3月、ポーランドのユダヤ人たちは、ドイツ・ナチスの迫害を逃れるため、シベリア鉄道を乗り継いで東へ進み、米国の上海租界へ脱出しようとしていた。ようやくソ連・満州国の国境の駅、オトポールに辿り着いたが、満州国がヒットラーの仕打ちを恐れて、ユダヤ人たちに入国を許可しなかったため、零下30度の極寒の中で立ち往生させられていた。関東軍ハルピン特務機関長・樋口季一郎陸軍少将は満州国に働きかけビザを発給させ、南満州鉄道(総裁)だった松岡洋右に直談判して、満鉄の特別列車を用意して彼らを脱出させた。ドイツからの抗議に対して、関東軍参謀長・東条英機陸軍中将は「当然なる人道上の配慮によって行ったもの」として一蹴した。1941年、樋口季一郎は、ユダヤ人救済に尽力した安江仙弘陸軍少佐とともに、ユダヤ人への貢献を顕彰するゴールデンブックに銘記された。